死は万人平等に訪れる

昼間の時間、テレビのコマーシャルを見ていると、やたら、「終活」や「葬儀費用に備える死亡保険」の話から「家族葬」や「お墓」「永代供養」が多く取り扱われているようになっています。これは、高齢者に絞ったマーケティングから導き出されたもので、日本社会の高齢化の現状を如実に物語っているように思えます。

実際、日本の総人口は、「令和5年10月1日現在、1億2,435万人となっており、65歳以上人口は、3,623万人となり、総人口に占める割合(高齢化率)も29.1%となった」と令和6年版高齢社会白書は述べています。

そのなかには、団塊の世代(1947年から1949年までに生まれの806万人)と呼ばれるベビーブーム世代が高齢者の中で大きな塊をつくっていて、2025年には団塊の世代全ての者が、75歳以上の後期高齢者となります。

高齢者が増えるということは、その分、死亡に至る人も増えるのは必然で、2023年の死亡数は159万人、出生から死亡を差し引いた人口の自然減が83万人、人口減は17年連続となっています。これからは、ますます死亡者数が増えてくると思われ、とくに後期高齢者となった団塊の世代から死亡者が多くなると予測されます。

なぜなら、団塊の世代は、幼少期からの同世代間における生存競争の激しさから、戦前生まれのタフさはなく、戦前生まれよりも早く死亡しているように思えます。人口比率を無視した暴論かもしれませんが、戦前生まれの有名人の逝去報道よりも戦後生まれの有名人の逝去報道が多いようにみえます。

さて、これらのことは、高齢者にとっては「死」という現実を意識せざるをえないということを物語っています。しかし、人はわが身のこととなると、死は遠い先のことと無関心を装うこともあります。しかも、根拠もなしに、「自分はまだ大丈夫」と思っている人も多くいます。

その理由は、死ぬことと、死後のことを考えたくないからにほかなりません。世間では、一般に「死後は何もない世界」だから何も考えなくていいと思っているか、「自分はさんざん悪いことをしてきたから死んだら地獄行きだろうけど、地獄に行くのはいやだ」と思い、思考を意図的に停止して、死の問題を先送りしているのが本当のところではないでしょうか。

ただ、体が若いころに比べて不自由になったとか、病気をしたときなどは、つい弱気になって、死の問題を考える人もいると思いますが、死後の世界を考えるとほとんどの人が憂鬱になり、終活をしている人以外は、思考停止しているように思えます。

なかには、この世の中で大いに成功して、「死ぬのは嫌だ」と思っている人もいると聞いています。死んだら、この世の成功も水泡に帰すと考えているからかもしれません。しかし、どんな人であろうと死は平等に訪れるものなのです。

さて、多くの人があまり意識したくない「死後の世界」とは、どんな世界なのでしょうか。確実に言えることは、世間一般にいうような、なにかおどろおどろしい世界ではなく、また多くの宗教が説く世界観とは全く異なる世界であるようなのです。

なぜなら、日本にある様々な宗教の世界を経験した筆者にとって、一言で言えばあの世の世界とは、元の世界に戻る、魂の故郷に戻ることであって、本来の世界に帰るのだから何も怖いこともないし、むしろ、懐かしいし、うれしいことなのだと言えるからです。

それを証明せよと言われても、証明することはできませんが、死んであの世に帰ったら筆者の言っていることは正しいとわかるはずです。要は、あの世に帰ってみないとわからないことではありますが、いたずらに、死後の世界を恐怖することなく、安心して帰れるように、事前に予習していただくのがよろしかろうと思って、世間一般の解釈とは違う意見をあえて掲載しています。

したがって、ここでいうあの世とは既成の宗教のにおいを消した価値観で見たもので、誰もが迎えねばならない「死」という現実を考える一つの材料として情報を提供しようと考えたのが、本書作成の理由です。宗教にまつわる抹香臭さを排して、純然と死後の世界に向き会える内容にしたいと考えています。

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